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7月11日

後1時間ではあるが、今日は7月11日。
中森明菜を聴いている一リスナーとしては感慨深い日ではある。

長年ファンをしている人は、敢えて触れない話題であると思うが、彼女を語るのには避けて通る事は出来ないと思うから書く。

1989年同日、中森明菜は当時交際中と伝われていた近藤真彦のマンションで左肘内側を8cm切断する自殺未遂事件を起こした。
彼女自身思い詰めた末の行動ではあったろうと思うが、そこで1982年から1989年までの栄光に満ちた彼女の"歌手としての半生"に一旦ピリオドが打たれたと思う。
自殺未遂に走った原因は彼女自身の言葉と、暴露本の言葉を借りれば、"彼"だけが原因ではなく、家族との関係、金銭問題、当時の事務所研音との確執、所属レーベルであったワーナーとの確執。
当時1989年、夏の日に予備校なんて行ってられないのでワイドショーは見ていた記憶が残っている。が、年末12月31日の記者会見は見ていない。呑みに行ってた。
当時ファンではなかったからなぁ。

将に自身は一命を取り留めたが、歌手としての人生はこの日が新たな、苦難に満ちた90年代への誕生日であったと思う。
彼女自身の誕生日は二日後。7月13日。
自分が思うには、彼女には2回の誕生日があるのだと思っている。自身の本来の誕生日と、死の淵から生還した二度目の誕生日。

彼女自身の内面の深さは、彼女のインタビューを纏めた『心の履歴書』や、ベストテンでの言動(七夕事件を筆頭に)、その他ライブでのMCを考察すれば、本来的には内側へ向かう精神の持ち主であると考える。
彼女の幼少の頃からの生活、心理、環境等も、内面の深さを育てる要因となっていったのであろう。"深さ"とここで書いているが、心の"闇"と言った方がいいのかもしれない。

近藤真彦への愛情は彼女が自身思う以上に彼女に取り憑いていたものと思われ、1991年復活ライブ1日目に偶然にもそれに合わせたかのように近藤真彦の結婚報道がなされた(巷間ジャニーズの中森明菜に対しての罠ではないかとの臆測もあったようだ)時、明菜は心労とストレスで倒れた。救急車で搬送されたらしい。
倒れるほどのショックは何処から来たのか。臆測が臆測を呼ぶ。

マスコミに表れる彼女の姿は90年代奇行のあらし、事務所との確執、トラブル、謎の後見人K女史、加えてK女史との裁判沙汰。かつて所属したレーベル・ワーナーとの確執、MCAとのトラブル、GAUSSとのトラブル。自身が否定し、GAUSSが勝手にリリースしたアルバム『Will』、インディーズ転落。90年代は混乱の10年だった。
加えて明菜自身がはい上がろうとすると同時に何かに憑かれたようにトラブルを呼び込んでいた。
彼女自身の行動にも要因があろう。また周囲の環境がまずかった事もあろう。それにしてもである。

だが、彼女が不幸に染まれば染まるほどに、その歌は輝きを増していったのではないかと思う。オリジナルシングル、アルバムの売上げは80年代の栄光の時代と比較すれば、一気に下降を辿った。
だが、カバーアルバム『歌姫』で彼女は己が内面の叫びを彼女自身の持ち歌ではない曲に乗せて絞り出す。ハードロックの名曲であるカルメン・マキの「私は風」をバラードに組み換え、身を捩り苦悶の表情を浮かべ、鬼気迫るステージアクトで歌いきった。
2005年、再びライブで『私は風』をハードロックで歌いきったが、このステージもまたしんしんと彼女の心の内を垣間見るような錯覚を覚えるアクトだった。


自身の望む人生が瓦解した時に、彼女の歌に更に力が篭もったと思える。例えトラブルの嵐に巻き込まれ、自身殺伐とした生活を送り、所属レーベルとのトラブルに悩まされ続け、ファンが離れていっても、彼女の歌は輝きを増していったと思う。


後追いで、歴史を追えば、そう思わざるをえない。
中森明菜は結果的に歌に取り憑かれている。


2007年。演歌をカバーした『艶華』が、ヒットを続けている。人の持ち歌を破壊し、"西洋人から見たエキゾチックな日本"(フジヤマ・ゲイシャに代表される誤った日本観といい替えてもいいのかもしれない)がコンセプトだ。
演歌のこぶしを徹底的に叩き壊し、"明菜"と言う色に完全に艶華に染色した楽曲の数々。

とあるサイトの評論が参考になるのだが、正直彼女の才能は恐ろしいと思う。

歌に取り憑かれた歌手か・・・。

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Comments

少女Aを歌っていたときだけテレビを見て怖いなと思ったけどその後、僕は外国住まい。この4月に久しぶりにその中森明菜の歌を聞いてびっくり。YOUTUBEみたいなものが無かったら、僕はこの歌手を知らずにすんだかもね。上の御論評に組します。

Posted by: noam | May 07, 2009 at 05:16 PM

7月11日は、明菜にとってまさに運命の日ですよ。
スタ誕で史上最高点をマークして歌手への道を
切り開いたのが1981年の7月11日(放送日は後日)
人生の転機が同じ日なんて偶然にしてはできすぎ。
このことに気付いた時はびっくりしたものだ。
明菜はこのことを知ってるのかなー。

Posted by: とある明菜ファン | August 28, 2009 at 08:05 PM

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